集合意識とか

昨日の続きです。

アントポロポゾフィーのキリスト論だと、キリスト以前は、人々は、宇宙の写し絵としての集合意識の中だけで生きていた。個々人の意識というのはまだ鮮明でなかった。

アーサー王の円卓の騎士は、その宇宙の写し絵だと。アーサーがいて、その周りを取り囲む12人の騎士。(黄道12宮)

キリストしかり。12人の使徒。

でも、磔刑により、キリストの血が地球に流れ、地球のあり方が変わり、太陽存在が降りてきて、人間一人ひとりが、自分の中に「神」を持つようになった。

ノーベル賞をとったカズオ・イシグロのBuried Giantを読んだとき、これは、人間に進化されて困る勢力が、なんとか以前の意識の段階に留めようとする話だな、と、思いました。

私たちは、その後の時代の人間なので、集合意識にアクセスする能力も持ちつつ、キリスト後の「個」の意識も持っている。

私たちは、集合意識から解き放たれて、自由である。

自分の中に神がいるのであるから、天の神に祈るのではない。個人個人が自立して、自分の神と対峙していくのだ……。

厳しい考え方です。何かにすがることができないので。(あ、でも天使はいます。守護天使も、もれなくついてます)

でも自由です。

そして、私たちは、自分で世界を作っていくのだ。

世界は自分で作るのね。

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