潜在意識の元ネタはどこにあるのか

久々に書いたと思ったら、「ちょっと、いったい何言ってんの」的な内容ですみません。今の時点で私が考えたことで、裏とかとれてません。悪しからず。Unfinished Ideaです。

 ヒプノセラピーのクラスが8月からマスターコースになりました。月に2日間で、11月まで続きます。8月は前世療法を習って、別のことで来たのに私に捕まった方に、モニターになっていただいたりして、潜在意識に大興奮状態です。 そこで、朝に「はた」と気づいたので、これは書いておかねば、と、思った次第。

 「ものごと」は、95%を占める潜在意識に「そのこと」が溜まって、クリティカル・ファカルティの上に出てくると、顕在意識として意識されるようになります。

例えば、わたしは、前世療法すると、自分が旅行に行ったこととか、マンガで読んだことが出てきて(いや、これはただマンガの内容を自分の旅行の体験と組み合わせて焼き直してるだけなんじゃ……)って、ツッコミを入れてしまってました。

それを谷原先生に言ったらですね、「旅行もマンガも潜在意識が顕在意識に表れて、そのマンガを読んだり、旅に行ったりしたんです」っておっしゃるのです。

「そうか」と、そこで納得したような気になりましたが、しかし、『テルマエ・ロマエ』も『7人のシェイクスピア』も『応天の門』も『ハリーポッター』(これはマンガじゃないけど)も、描いた人がいるし、読んでいる人もたくさんいる。知っているのは私だけじゃない。ベストセラーは、多くの人と、そのストーリーを共有しています。「わたしのオリジナルじゃないじゃん」と思うわけです。

これはどこかで読んだりした聞きかじりですが、「集合意識」と呼ばれる意識があって、ベストセラーを書く漫画家や作家はそこにアクセスして引っ張ってくる能力がある。これは別にストーリーだけじゃなくて、絵でも音楽でもそうです。

じゃあ、その集合意識はどこにあるのよ?

元ネタとなる「世界」があるとしましょう。

個々人がこの世界から取れる情報は限られています。その人なりに潜在意識の中にこの「世界」からとった情報を積み上げて、自分なりの「世界」を「現実」として認識している。

それが世界を作っているのは自分、という認識と捉えればいいんだろうか。

ならば、客観と主観って?

視点の位置の違いだけ?

基本、主観しかないのか。

客観とは、より多くの人が共有できる事実?

アントロポゾフィーでは、精神界ということをいいますが、普遍的なもの、例えば、幾何学図形は、精神界にあり、わたしたちはそこで見ていたから認識できるのだ、と、いいます。(ちょっと言葉遣いは正確じゃないかもしれません)
例えば、地上には真円は存在しません。でも私たちは、真円に近い形状を見ると「円」である、と、認識することができる。それは、私たちが精神界から地上に来たから認識可能なのだ、という考え方です。

「普遍的な事実」=「潜在意識の元ネタ」とすれば、「精神界」が「潜在意識の大元のネタのある場所」という理解になります。

じゃ、「集合意識」って何なのか。

精神界のネタ(普遍的なもの)をもとに、時間軸の中で人間が積み上げてきた意識。

意識をエネルギーだと考えると、(これは量子論の話なので クォンタムタッチにつながってきます)時空を超えてアクセス可能です。

なので、漫画家や作家のアクセスしている集合意識に私もアクセスし、(ミーハーなのね)、自分の前世のストーリーとして、ヒプノ(催眠)状態になって潜在意識の中にあるストーリーを汲み上げ、潜在的に自動化された否定的な、もしくは肯定的な感情の原因を追体験し、そこを浄化することが可能。

ふう。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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